きもの箪笥*きものメモ

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君野倫子

Author:君野倫子
着物好き、歌舞伎好きの文筆家・君野倫子です。
感謝して、愛をこめて。
5月1日からアメリカ・カリフォルニア州在住となりました。
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歌舞伎とクドカン

今日は歌舞伎座は千秋楽ですね。もう1回、昼の部は観たかったです。
きっと初日と楽日では、ずいぶん変わっているはずだから。

まず、400年以上の歴史を前に、花道をゾンビだらけにしたクドカンに拍手です。作家としての勇気に拍手です。歌舞伎座でゾンビを演じた歌舞伎役者さんたちにも拍手です。お疲れさまでした!

で、感想ではなくて、クドカン歌舞伎を観た後に、ふと私が感じたことを書いておきたいと思います。


賛否両論、あちこちでクドカン歌舞伎が語られていますが…

「歌舞伎と認めない、認めたくない」のも、「あれこそ歌舞伎の原点だったに違いない」という意見も、両方あって当然。両方なるほど…と思います。何より、そうやって、あちこちで語られることこそ、クドカン歌舞伎をこのさよなら公演中に上演したことの大きな意味だったんじゃないかな~と思います。
と、同時に、私はクドカン歌舞伎を観て、従来の歌舞伎、古典の良さをすごく再認識しました。
たとえば、舞台背景の書割の意味とか…、台詞や動きがたっぷりな意味とか、見得や立廻りの効果とか。
その古典と真逆を行くクドカン歌舞伎は、あまりに振り幅が大きすぎて、観ている側が戸惑うのも当然だと思うし。

何が違うって、「美意識」なんだと思います。
歌舞伎が生き残ってきた理由の一つは「美意識」だと思うのです。
どんな悲惨な物語でも、残酷な場面でも…形としての「美しさ」、役者の「美しさ」、多少強引でも物語の中に浮かび上がらせる人間の「美しさ」を表現することにこだわってきた歌舞伎。
もちろん、河原でお国が踊った時代のそれとは違っていますが…だからって、今、歌舞伎に求められているものが同じとは思えないですし。
「美しさ」の表現の方法はいろいろあって、クドカンや松尾さんなどは通常、できれば直視したくない人間の醜さ、おろかさを見せるところから人間のバカだけど愛しいところや強さを見出していく逆説的な表現方法だと思うのです。それは「美しさ」ありきの歌舞伎に対するクドカンの挑戦というか…いや、クドカンそのままというか。

ただ、クドカンが初めて描いた歌舞伎という、物珍しさだけで終わってしまうと、こういう新しい作品が歌舞伎という土壌の中でどう研ぎ澄まされていくのか観られないわけで、それは残念なことだと思います。その時代、時代のあらゆる新作が長い年月をかけて、現在の古典として残っているのだから、こういう試みを続けていくことに意味があるような気がします。

ただ、私は歌舞伎役者による新作も絶対、欠かせないと思うのです…というか、作ってほしいです。
さきほど言った歌舞伎の「美意識」は、外からの人間では表現できないものがやっぱりあると思っていて、歌舞伎役者さんが持っている歌舞伎役者としての「美意識」をもっての新作もどんどん作ってほしいと思います。原作といわずとも、演出だけでも。そういうところで、染五郎さんや亀治郎さん世代の新作をもっと観てみたいです!

ということで、クドカン歌舞伎を観て、歌舞伎役者の懐の広さ、(古典などの)舞台美術の素晴らしさ、衣裳や鬘の素晴らしさを私は再認識しました。守ってほしいですし、残してほしいです。
日本人は「美しい」ものが好きなのです。
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